もう2度とやりたくない!過酷な日雇い労働の仕事の体験談まとめ

過酷な日雇い
【29歳 男性】
これまで日雇いのバイトは数多くしてきました。

私が体験したもっとも過酷だった日雇いの仕事は『中古アパレル商品の仕分け』という仕事でした。

『中古アパレル商品の仕分け』というのは、これまで経験がなかったので派遣の営業担当さんに話を伺ったところ「そこまできつくないし、駅からもそんなに遠くはないんじゃないかな」とのことでしたのでそのお仕事をお引き受けしました。

しかし、ふたを開けてみたら、ロードマップは子供の落書きの方がまだまともと感じる様なお粗末なもので、駅から徒歩で40分の所に職場はありました。 当日の朝に、場所を改めて調べて居なければ間違いなく遅刻してしまっていたでしょう。

職場の近くについたとマップでは書かれていましたが、派遣会社に言われた会社名と実際に働く会社名が異なっていることも驚きの一つでした。

職場について、派遣会社の名前を告げると、ロッカールームに案内されそこで着替えて、『あと2分くらいで朝礼するから遅れないで』と言われました。 派遣会社に言われていた時間よりも早い時間だったので驚きましたが、こういった話は派遣日雇いでは少なくはありません。

朝礼がおわり、仕事がスタートしたのですが。『中古アパレル商品の仕分け』とは名ばかりの仕事内容でした。 かなり重量のある機材や、かなりの汚れが付いているオモチャと一緒に気持ち程度のTシャツや靴下が入っているパレットの中の商品を仕分けさせられました。

初めてだったのでわからないことも多く、従業員の方に声を掛けるも、ほとんど何も指示はなく決まっていつも「自分の判断で」と言われてしまいました。

仕分けに手間取っていると、少し離れたところで社員さんたちが「どうせ今日一日しかいないからアレやらせよう」「次は絶対来てくれなくなるね」というのがはっきりと聞こえました。

私がいたことに完全に気が付いていなかったのか、そのまま話し込んでいました。 そして私が言い渡されたのは雨に晒されたパレットの中の商品の仕分けでした。

商品として使えるものも少なく、ほとんどごみを分別するような仕事でしたが、それでも全ての商品がだめな訳ではなく中には商品にできるものも混ざっていたので余計にたちが悪いと感じてしまいました。

18時で退勤の予定だったのですが、退勤をしたのは30分を過ぎないくらいでした。

しかし、上がってから私のやり残した仕事があるとそこから一時間ほど無賃で拘束されました。

にもかかわらず派遣会社の就業報告書を確認したら時間ぴったりで上がったことにされていました。

なかにはこのような最悪なやり方をしてくるところもあるのだと感じました。『中古アパレル商品の仕分け』と募集の記載には注意したほうがいいですよ。

【31歳 男性】
今から10年ほど前、某TV局が開催したイベントの外警スタッフをしたことがあります。

この外警とはその言葉の通り会場の外の警備のことで、そこまで本格的な警備員という訳ではありませんが軽い警備要員と同時に案内役(むしろこちらの方がメインです)も兼ねているスタッフです。
私がそのスタッフをやったきっかけはネットのアルバイト検索サイトで”1日でもOK!”というカテゴリで調べて、ちょうど日程的に合っていたからです。 募集をしていた派遣会社と契約をしてこの日だけそのイベントのスタッフとして現場に派遣されたという形です。

当日は現地集合で、私の他にも10人くらい同様の役目を負ったアルバイトさんが居ました。

年齢は見た目20~40代くらいと様々でそのうちの3人くらいは私と同じ派遣会社を通して来ていましたが、このイベントで始めて会いそれから誰にも会うこともなかったので、どのような人だったのかは分かりません。

そのイベントはちょうど夏休みのシーズンだったので、子供連れのお客さんで賑わって大変な盛況でした。この警備の仕事は基本的には各々の持ち場に着きそこに立っているというだけで、お客さんにアトラクションの場所などを聞かれたら手持ちのパンフレットを渡し、そこを案内するという内容でした。

また、もし暴れている人を発見したり揉め事が起きた時は速やかに本部に報告するという内容も含まれていましたが、幸いそのようなことはありませんでした。

こう聞くと立っているだけいいのでとても楽な仕事のように思えるかも知れませんが、それはとんでもない誤解です。

まず、真夏の炎天下の中を薄手とはいえ、長袖のスタッフジャンバーを着てずっと立っていないといけません。見栄えが悪くなるので腕まくりは禁止されていたので、暑くてたまりませんでした。

今考えるとよく熱中症にならなかったものです。そのジャンバーと一緒に帽子も支給されていましたが、それでも立っているだけでだらだらと汗が流れてきます。体感温度は軽く40度以上です。

そして、ジャンバー、帽子共に目立つ蛍光色(そうでないとスタッフとして分かりませんが…)だったので、しょっちゅう声を掛けられます。こちらはスタッフとは言っても、仕事が始まる前に15~20分程度の簡単なレクチャーを受けただけなので全てのアトラクションの場所やその年齢制限などまで全て覚えている訳がありません。

その為、自分もその都度パンフレットで確認をしながらの対応となってしまい、時にはスタッフのくせに分からないのかと叱責されることもありました。

それだけならいいのですが、年齢制限があるアトラクションでそれに引っ掛かる子供を何とか参加させたいと無茶な要求をされたり、更に会場が混んでいること自体にまで文句を言われる始末ででした。(これは当然誰の所為でもありません)

やっと開催時間が終わったと思ったら、今度は全員で会場の広い敷地内の隅から隅までゴミ拾いです。

日給でおよそ8時間(途中休憩は1時間)で9,000円という日払いとしてはまずまずの給料でしたが、正直なところもう二度とやらないと心に決めました。


【30歳 男性】
大学生時代、卒業旅行に行くためのお金を貯めたいと思い、派遣会社に登録しました。

そこで見つけたのが、「防災マニュアルのピッキング作業 時給950円」でした。

実際に行ってみると、仕事の内容は「東京防災」という東京都が作成した災害時のマニュアル本を台車に乗せてひたすら運ぶという100%単純作業&肉体労働でした。

勤務時間は8時間。朝8時~夕方の17時(休憩1時間)。8時に集合と説明ですぐに作業開始。

ひたすら梱包された本を解体し、10冊まとまりにしたものを台車に乗せて移していく。その繰り返しでした。。。 場所は倉庫だったので、熱気もこもり首に巻いたタオルがすぐに汗まみれになりました。

12時に休憩でコンビニで買ったお昼ご飯を食べます。ただ、食べた後猛烈な眠気に襲われました。

すでにそれくらい疲れました。汗も大量にかいていたので1Lのスポーツドリンクを昼休憩で飲み干しました。

13時から再開し、手際は午前中より良くなっていますが、一度休んだことでさらに疲れもたまってきています。

ずっと同じ「東京防災」を運び続けているので、ゲシュタルト崩壊が起こりそうでした。紙って数がまとまると本当に重いんです。古雑誌を縛って捨てたことがある人はわかると思いますが。

何より「この作業機械がやったほうがずっと優秀なんだろうな」と思うと、安い時給で働いている自分がふがいなく思えてきます。

17時 ゴミを片付けて終了。やっと「東京防災」から解放されました。

具体的にもらった日給は実勤8時間で時給950円換算でしたので、7600円でした。 給料に関しては事前の説明と違いは無くしっかりとした派遣会社でよかったなあと思いますが、、正直一日中これだけ体力を消耗するきつい仕事をしてこの金額ではもう2度とやりたくないなあというのが実感でした。


【53歳 男性】
今から20年ほど前に仕事を辞めてこれから先どうしようかと思っていた頃の話です。

手に職も無かったため、なかなか次の仕事が決まらず失業保険も残り数。そろそろ貯金も底をつき始めこのままいけばアパート代も払えず、追い出されるだろうなと考えていました。

何か所も面接を受けても採用に至らず途方に暮れていました。私に出来る仕事と言えば力仕事ぐらいしか無かったので思い切って少々キツくても時給日給のいい短期の仕事をしようと考えました。

当時は就職氷河期と言われる時代でしたので正社員の仕事もあまり無く、それに伴い日雇いの仕事も選べるだけのものはありませんでした。

直ぐにでも現金が欲しかったので日雇いで日払いや週払いが可能な仕事を探しました。目に付いたのが道路工事の仕事で、学生時代にも経験があったのでその仕事をすることに決めました。

面接も形だけで出した履歴書に一目通されて”いつから出来ますか?”との回答が来ました。当然”明日からで結構です”と言いましたが、当初は”そんなにキツくないだろう”と考え早速働くことにしました。

当時季節は7月の猛暑日でした。力仕事に自信はあったのですが、暑さに弱かったせいか午前中で既にバテ気味。”このまま午後の仕事も持つのか?”と思いながら仕事をしていました。

仕事としては道路の基礎工事がメインになりますが、スコップ片手に砂利や砂をすくっては一輪車にひたすら入れ運ぶといういかにも重労働の典型でした。

整地などは機械で行うのですがそれで出来ない細かな部分に関しては全て手作業で行うため思った以上に体力を消耗していきます。暑さで既にバテ気味で昼飯もあまり喉を通らず少々フラフラしていました。

周りの人はと言うと、ガタイがよく腕には刺青が入っている人もチラホラ。それ故にちょっとチンタラ仕事をしていると怒号が飛んでくる状況で、ちょっと怖い思いをしながら作業をしていました。

夕方5時になると仕事は終わりますが、もう1日目にして意識はもうろう状態ですぐにでも家に帰って寝たい気分でした。しかし周りの人はこんな仕事は朝飯前とばかりに”飲みに行くぞ”との声が。

私は正直断りたかったのですが、何を言われるか分からなかったので仕方なく付いて行くことにしました。

そこでは日中の仕事での態度とはうって変わって皆優しく怒鳴られた人からは”気を付けないと怪我するからつい厳しく言ってしまって悪いな”との言葉が。

意外に皆優しい人ばかりで安心しました。仕事を始めたから3日目ぐらいまでは毎日フラフラ状態でしたが段々と体が慣れたせいか平気になりました。

日給は1万2千円で1か月ほどこなし、手取りで25万円ほどになり充分生活できる目途が立ちました。辞める時に”このまま続けたら?”と言われましたが長く続けられるとは思わなかったので就職活動をすることにしました。

今ではとても無理ですが、短期間で体力に自信があるなら出来る仕事だと思っています。今でもあのキツイ仕事をしたことが自信となっています。

【48歳 男性】
私が体験した日雇いの仕事はビニールハウスの解体作業でした。

依頼主は菊農家で、自分の土地に高速道路が通るということになりビニールハウスの解体と移設が必要でアルバイトを雇うということでした。私は深くは考えずにその仕事に応募するとすぐに採用が決まりました。

実際に現場に行くと私と同年代に雇い主とほかにもう1人70才くらいの小柄な男性がいました。初日はこの3人で作業が始まり、慣れないスパナやドライバーをもってビニールハウスのビニールをはがす作業が始まりました。

ビニールハウスのビニールをはがすと長年溜まった泥などが手袋や服にべっとりとつき、軍手も何回も交換し服もどんどん汚れていきました。長靴を履いての作業でしたが、その中にも泥が何回か入ってきます。

そして剥がし終えると鉄パイプの撤去となるのですが、長年使ってきたねじがなかなか回りません。これによって私の肘を痛めました。

パイプは長さが5メートルほどでしたがそこまで重いものではありません。ですが、さすがに10本も抱えるとよろよろしてしまいます。

おまけにビニールを取ってしまっているので、急な雨の時などの時はびしょぬれ。そして、長年使用していないだろう汚れの花植えポッドやアルミ製などの棚などを運び出す作業が続句と、粉塵がすさまじく顔から全身真っ黒になりました。

もちろんマスクをしての作業でしたが、そのマスクも作業を始めてすぐに汚れるという有様でした。



ちなみに周囲に店などはないのでお昼休みもビニールハウスの中でのお弁当です。これが全然休んだ気がしないんです。

なんとかそんな作業の数日間を終え「また次も来てよきっぱり」と言われましたが断りました。これで時給が900円でした。。。

時給2000円くらいもらわないと誰もこの仕事はしないと思います。私はもう一生ビニールハウス系の日雇いでは働かないと思っています。

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